弁護士はうつ患者を見捨てた  うつになるまでこんな仕事をしていた。  残業150時間が当たり前

ABC広告代理店、山田太郎は、若手の営業マンとして、日々、忙しいサラリーマン生活を送っていた、そんな山田に突然、上司から取引先の新規ショッピングセンター開設プロジェクトの広報担当として、出向を命じられた。

<まず、ABC広告代理店時代について…>
 ABC広告代理店は、業界3位であるが、山田が大学時代にあこがれていた業界でもあり、ABC広告代理店の創始者の本を読み、意中の会社でもあった。山田が特に感銘したのは、「社員は3倍働いてほしい。社長はその倍働く、職員を信じる会社として、タイムカードは使用しない。だから、出勤、欠勤自由。当然、早退、遅刻も自由」と記載されていた。

 さらに、「くび切りなし」という文字に感動したからである。
山田は、念願のABC広告代理店に入社し、持ち前のパワーを全開しようとして驚いた。始業時間は、8時半だが、男性は、8時には全員出勤している。そのため、女性職員も朝早く出勤し、事務所の掃除や整理整頓に費やしていた。外部の清掃会社に委託するのは、年に2回ほどの職員でも手が届かないところという経費削減もすぐれていた。

 勤務時間も17時半までと会社概要には書いてあったが、顧客との連絡や、営業のレポートなどで、17時半からが忙しい。女性職員は、18時には帰宅し始めるが、男性職員は、20時になってやっと帰れるかなという社風ができていた。

 つまり、早退や欠勤をすると、逆に会社にいづらい雰囲気が築きあげられていたのである。
 その上、朝一番、7時半に事務所を開ける当番や、お客のクレーム対応に対処できるように24時までの交代勤務があり、その残業部分だけは、申告して手当がもらえるシステムになっていた。

 そのため、入社早々は、150時間近い残業手当が、給料よりも多いという嬉しい悲鳴だった。しかし、すぐに、国の労働基準法が整備され、残業時間が50時間までということになったが、仕事は減る雰囲気はない。ただ、給料のみが減っていった。そして、若さゆえの体力も後にすり減らすことにつながっていた。