佐世保市にある、戦争遺産、針尾の無線塔、ここから、第二次世界大戦のニイタカヤマノボレの暗号が発信されたとされている。
私の祖父も開戦後、すぐに戦死している。開戦からすぐに、日本の戦況が不利で、祖母(妻)にあてた手紙の中に書かれていた。そして、自分の身の回りの整理を遺言のごとく書き綴り、まさにそのとおりに戦死している。
歴史では、その時は、まだ、行け行け日本のニュースが流れていたようだ。
さて、グアムの事件や、交通事故もさることながら、日本は、離婚という現実が、3組に1組という割合になってきている。それにともない、こどもたちが、一番悲しい思いをしている。
DVも社会問題になるほど相談室が設けられ、相談にのった友達が殺されるという不幸の犠牲者も佐世保の人だった。
被害者のケアはもちろんのことだが、加害者のケアも十分に行われるシステムの必要性も痛切に感じる。被害者にとっては、
許しがたい加害者には違いない。
何か今日は、複雑な社会の渦にパソコンのキーも進まない。