憎しみを負うこと

…「心にナイフをしのばせて」…奥野修司(著)…文芸春秋
 あの神戸の酒鬼薔薇事件の28年前に起きていた同じような15歳の少年事件が数年前だったか話題になった本。当然、被害者の家族からのインタビューから編集されたものだが、被害者家族は、加害者が憎いのではなく、自分の心との決着を求めていた。犯人が弁護士となっていた。お詫びの言葉も慰謝料もない。国は、加害者には、更生のためのお金は出すが、被害者家族に比べると各段の違いがある。最近では改善の動きもニュースで聞くが、心の傷は当事者でないとわかりえないだろう。 

わたしの心につけられたシミのような傷を消すことができるとすれば、あの事件に「決着」をつけられたときのような気がする。その「決着」のために、わたしはこの三十余年、心の底にナイフをしのばせてきた。いつでも対決できるようにー。ただ、わたしのいう「決着」とは、犯人と直接対峙して決着をつけることではない。わたしの心の中の問題なのだ。

 誰だって多かれ少なかれ、憎しみを持つ人はいるだろう。犯人が少年だったが、のちに犯人の所在までわかったときの心の葛藤はいかがだったものか。人はいつでもナイフを取り出すかわからない社会で生きている。自分はどうかと問いただす。…